目次
ゲーミフィケーション前夜、産まれたのには意味がある
実際にゲーミフィケーションという考え方が出る前。
ゲームの現場では、どんなことが課題とされ、どんなことをしたかったのか?というところをおさらいしてみます。
これにより、何をするために考えられたツールか、という理解が深まると期待します。
「不要なもの」を続けてもらう、という大目的
ゲームはいわゆるエンタメです。
義務教育の様に「泣きながらでもやらないといけない」ものではない、という弱点がありました。
不要なものに関心を持ってもらうためのエネルギーや知恵は、色々な点で昔から開発されていました。
- ギャンブル
- 芝居などの娯楽
- 料理屋さんではなく飲み屋さん
などなど。そんな現場でも色々なノウハウが産まれ、ゲームも共通の要素をうまく取り入れたりしているケースもあると考えています。
(決してTVゲームがゲーミフィケーションのオリジナル、ではないと考えます)
現場では明文化されてなかった
実際のテレビゲームを作る現場、初期の様子を思い起こしてみます。
毎日の業務を通じて様々な工夫が産まれては消えて。
さらに残ったこれらの工夫は、ゲーム開発の現場では明文化されていませんでした。
現場では一つ終われば、すぐ次の開発をしなくてはならず、ある意味こういったノウハウをまとめる作業時間が取られている訳ではありません。
さらにひな形もまだない
また、当時のゲームはまだ雛形やらジャンルも確立していない状況でしたので
- タイトルごとに異なるベクトルで作業が発生していた
というのも原因だと思います。
結果、教科書も存在せず、それぞれの開発者の中で持っている感覚の共通部分をすり合わせながらゲームを作る、といった作業になっていた気がします。
匠が己の技術を盗め、教えるものではない!とか言ってるのとは違い、そもそもどれが教えるべき普遍性のある考え方か、もまとまってない時代です。
業界の発展と共に
しかし、業界も大きくなり、作品も増え、いわゆる「ジャンル」も固まってきました。
そうすると、典型的な形、というのも見え始めてきます。続けて、これらの典型をまとめていけば、ある種の雛形になっていきます。
ゲーム、という作品性の高さも要求されるコンテンツで、この典型的な形が出てくると、オリジナリティの追求は難しくなる反面、「〇〇風」は作りやすくなります。これ自体は悪いことではなく、過去を知らないユーザーに向けては、彼ら向けの新しい要素を入れて新たなものとして提示できています。
また、ノウハウも類型化しやすくなり、作業効率も上がってくる面もあります。
子供のころからTVゲームが存在する中で育った若者が現場に入ってきたころから、この現象は加速したように思います。
つまり、我々が色々な実験を既に市場で行ってきて、失敗も成功も多数の例を展開してたので、ある種のショートカットが見つけやすくなったのは確かです。
さらに外部に影響
それと共に、ゲーム開発が教育プログラムにもなり、専門学校や大学でも教えられるようになり…
(ここから十年単位でさらに進み)
さらにそれがゲーム以外の領域でも応用できる、という考えも産まれてきたのだと思います。 (年表を横に置きながら説明するとそれらしいのですが、そんなにカチッとした進行はしないぞ、と)
産まれる前を理解することで、何を解決するために産まれたツールか、ということの理解が深まると良いなぁ、ということでこのタームを書いてみました。
次回よりやっと具体的な内容に入って行きます。