ティンパニ 音域=2つ。これで何百年
(未経験)
パーカッションはヘルプ的に出入りして、演奏などもちょこちょこしてましたけど、これは叩かせてもらえず。
↑いらすとやさんにありました。
こういう楽譜の指示がある、って良く知ってたな。
かなり原始的な楽器がそのまま現代に
恐らく歴史的には本当に初期からあった楽器だと思います。なんせ、平らなものを叩けば音が出る、それを空洞に貼りつければ大きな音に。それをサイズ違いにすれば、高い音や低い音が出て、メリハリができて・・・みたいな感じです。
そこから、
- 皮の加工技術
- 胴の剛性アップ
- テンションかける技術
- 音程を安定して調整できる機構の発明
- 素早くチューニングを行う機構の発明
などの向上で、やがてはっきりした音程を持つ様になった…という推測です。ぜんぜんアカデミックではありませんので、人に話をする際に参考にしないでください。
それにしても2つの音だけで
基本2つの音程でかなり長い間頑張っていた、という印象があります。基本は基音と5度の二つ。メインの調に合わせてこの2つがあれば、長調・短調いずれも対応できます。トライアドの動きでもトニック・ドミナントは普通に、サブドミナントは基音が入っているのでそれで、という具合に。
ミニマムは好きですが、でもミニマムにもほどがある。でも、この2つのミニマムはこう使うんだ!と堂々と押し通してなんとかしてしまい、しかもそれを感じさせない存在感を持っている。なんというか、すごい。
割り切らざるを得ない
かなり凄いなー、他の楽器に比べ割り切りが。 と思いますが、そうせざるを得ない理由はありそうです。
楽器が大きかったりすること、さらに実際の運用でもギリギリ2音で役に立ったりしてしまったから、だと思います。
もちろん12個をはべらせればクロマチックに(それでも1オクターブ)音程を作ることもできますが、5度の2音で乗り切ってる究極の割り切り方は素晴らしいことに違いはない。この曲などは、本当に主役級の存在感です。
表現力があるからこの2音でも
久遠の彼方から聴こえて来て、やがて振動が腹にも伝わり空気が圧縮される様に緊張感が高まってからの1発。
続けて2発、3発。
これは他の楽器には真似できません。
ティンパニの響き、というアイコン的な存在感を確立している。サンプラーが普及してきた時にも、それまでの合成音では作りにくかった反動で、この音は多用されてました。
世界をいきなり作れる音。なかなかの存在感です。
ティンパニという楽器が他の楽器に比べて表現幅が特別広い、ということはありませんが、ある種のアイコン的な唯一無二の音を確立したのは確か。さらに、それを多くの作曲家がパクりではなく、もう常識として使うまでになったことも、全てはティンパニの作る音の価値でしょう。
ちなみに、他の楽器をやっていた自分としては、
- ホルンのリップスラーの高音駆け上がり
- トロンボーンのスライド利用グリッサンド
- トランペットの高音シェイク
- バストロのベダルトーン
- サックスのサブトーン
などにも、「楽器音のアイコン」を感じます。はい、ここでこれ!みたいな使い方をされ、さらにそれが違和感なく曲を盛り上げる。こういった界隈でもティンパニの音はかなり強力だと思ってるわけです。
もちろん、2音だけというのはたぶん昔の話
クラシックの中でも古典と言われる時代は、同時には2つの音しか叩けない(楽章が変わると別の音にチューニングするなどしていた)ことも多かったのは確かです。でも、ペダル機構やチューニングゲージの精度も良くなって、正確な音程が素早く作れるようになると、2つだけの音、なんてこともなくなりました。まるで曲芸のように、忙しく音を変えたり。さらに台数も多く必要とする曲もどんどん出てきました。現在、吹奏楽の編成などでも4台、というのは割と普通に見ます。
ベルリオーズの『幻想交響曲』は、ティンパニ奏者が4人だったりします。さらにこのベルリオーズはティンパニ好きなんでしょうか、レクイエムという曲では、10人の奏者で8セットのティンパニ。
でも、初期に確立された格好良さは、割と根強く残ってます。
聴くのだ
この独特の飛び道具的なティンパニ。吹奏楽部でパーカッション担当になり、ティンパニを叩く人。間違いなく、色々な作品のティンパニの音を聴くことをおすすめします。自分の担当している楽器の表現幅は、先輩からの教えだけでは理解できないことの方が多い。
たった一人でバンドの全体を押し上げられる、特権をもったような楽器なのです(自分にとっては)。
チャレンジしてみない?
他の楽器ではまねできない・・・と思いつつ、変なことを思いついてしまった。
チューバによるティンパニのモノマネ。
チューバでフラッタータンギングをしながらクレッシェンド、そこからの基音とと5度の交互吹き。どうだ。やったことないから誰かやって。