ピアノ+教室=かつての中流階級必需品
ビジネスチャンス!?
ピアノは、信じられないことに、かつては集合住宅に住む中流階級でも必需品だったのです。さらに、ピアノ教室に通うところまでがセットだった時代があります。
今は、習い事にも色々な選択肢が増えて、ピアノ人口も減ってるかも!ならば!チャンス!子供たち!
ということで、今だからこそ自分が感じる魅力をだらだらと書いてみます!
ところで。変な略し方で名前が定着
「ピアノ」という名称は、略称です。アルファベットではpfと表記されます。pは「音を小さく」のピアノですよね?きっと。でも、f のところは誰も発音しない、誰がそこで略した、と思われる略称で定着してます。
pfはピアノフォルテ。直訳すれば「小大」でしょうか。
その前に流通していたハープシコード系は、羽の軸で弦を引っ掛けて鳴らすので、強弱が出せませんでした。なので、音に強弱が付けられるピアノが発明されて、それはもう、きっと凄かったんだと思います。
イタリア語では、「大小が奏でられる鍵盤楽器」的長い名前が正式名称です。そこから、ある部分だけ使われ、さらにその前半だけが使われ。言って見れば「小」って名前みたいなもんです。
↑ググりませんが。クイズ番組でやってた。
↓といいながらググって一応見つけた。
クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
構造的発展
か弱い鳥の羽の棒の部分で弦をはじくハープシコードに比べ、かなり発音部分の強度が高くなってます。
ハンマーで弦を叩きます。ハンマーって言っても木の棒+木のヘッドに布を巻いたようなもの。
そのハンマーのスピードが大きければ打弦エネルギーも大きくなり、音も大きくなります。それで音の大小が表現できるように。
さらに、もっと大きい音を・・・という欲望もあって、反響版を付けたり、様々なパーツを頑丈にしていって、今の形になったわけです。
これらの発展、ほとんど工業製品としての発展に近い。そもそも今の形にぐっと近づけたのは、鉄のフレームの誕生でしょう。これにより、弦の張力を大きくしてもぶっ壊れないシャーシを作れ、さらにその音を効率的に大きく聴かせる反響版も発達した、と考えられます。←ちゃんと調べてない。
かつてのポジション
かつて、日本の多くの中流家庭&女子がいる家のマストアイテムだったことがあります。
当日、中流家庭とされていた層は団地住まいも多かったのですが、それでもアップライトピアノがある家が多かったです。
そこで問題になったのは当然騒音。音量を大きくする工夫満載で発展してきたピアノを、密集した日本の住宅に置く。なにやら紛争の予感しかしません。
実際、悲惨なこともありました
「ピアノ 殺人」でググれば沢山の事件が出てくるはず。
そんじゃ弦のテンション弱めてフレーム軽くして反響板省略して音も小さくする、って楽器が出てこなかったのですが、それは当たり前です。
ピアノを持つこと、習わせる事、がある種のステータス。うちもこんなことができるようになったんだよねー、と言う人に「安い・軽い・音が小さい」という廉価版みたいな製品は売れません。
そんなわけで、普通に体育館で全校生徒の前で校歌の伴奏するのと同じ楽器が2DKの公団住宅にあったわけです。
今、そんなカジュアルなピアノを誰か作っていないものか・・・
教育カリキュラム…いかがなものか
そのころのピアノは、ピアノ教室とセット。判で押したように、バイエル、ブルグミュラー、ソナチネ、とずーっと並行してハノン。
どこかにあるんだろうけど・・・もう一度買ってみようかな。
このころ、JAZZ、ラテン、ポップスの教室が簡単に選べるような環境はありませんでした。当時から、いわゆる面白い音楽の方に興味があり、子供ながらブルグミュラーのどの曲を弾くより、ラジオ体操を引いた方がクラスメートに受ける状況を体験し、疑問は持っていました。
考えれば、これらのカリキュラムは、クラシック奏者育成プログラムみたいなものです。
でも、そんなにプロになるもんでも無い。ならば、酒が飲めるところで盛り上がる曲を弾けるようになるコースがあっても良いじゃ無いか、と。(←これは子供の当時の考えではありません)
かつてこの意見と似てる感じで、芥川也寸志氏がクラシックコースの入門ではない、親しむためのピアノ教本を出したました。入手しなかったけど、同じ事を考える人が居るんだなー、と思った記憶があります。
今ならこんな教本もありますね。
クラシック奏者になるか分からない生徒をクラシック奏者育成プログラムで途中まで導くシステムがなぜか今も続く不思議な世界。 クラシックの基礎がその後のベースになる事は否定しませんが、もっと楽しむことに比重を置いたやり方もあってもいいと思ってます。
固定概念が邪魔?
このような教育システム。黒塗りのかつての高級イメージがまだまだ根強く影響して市場の拡大も妨げているような気がします。
でも、バイオリン界では葉加瀬太郎&高嶋ちさ子&古澤巌、のように、クラシックの最高峰の技量を持ちながらも、聴き手を意識したコンテンツを提供してくれる人が活躍したりしてます。ピアノ界も当然。
清塚信也、日食なつこ、のようないい感じのピアノ伝道師が教育システムを作ったら、もっと市場は活性化するに違いない、と思っております。
つぶしの効かない楽器?
思い出すと男子率が低かった世界。今はわからないけど。
学校では自分より上手なお嬢様が先生の代わりに伴奏をしたりするので、出番は無く、さらに当時弾いてた教本の曲をやっても悪ガキどもが喜ぶはずもなく。(それで超高速ラジオ体操等のネタに走りました) いろんな意味で「潰しの効かない世界」を歩んでいた気がします。
そこから偶然ポップスの世界を知り、独学で色々やってみる事に。この辺りがコースとして存在してればもう少し早く今の世界に来られた気がします。 もちろん、寄り道してそれなりに進めたのは、クラシックの教育課程がベースという事は認めつつ、楽しさより修行、というタスクとリターンのバランスの悪さは感じていました。
逃げたきっかけ
中学校の体育のバスケットボールで壮絶な突き指をしまして。それから約1.5か月ギプスを着けた生活。さらに、それだけの期間固定していると、元の様に動かないのを少しずつ可動範囲を広げる痛いリハビリを数か月・・・
なんと、成長してました!
技術じゃなく、体の大きさが!
中学校の成長期。背も伸び声も変わり、そうです。手も大きく指も長くなり。これまでパッと手を置いていた感覚が通用しなくなり、色々な曲が弾けない事態に!
心の中で「やったー!やめられる!」と正直に思いました。
やっぱりそんな世界おかしい
良く考えると、この当時の一本道のカリキュラムは、官僚育成型教育にも似ている。ふるいにかける、というシステムですね。商売としては、生徒の供給が多い時代はこれでいい。 でも、少子化で可処分所得も減ってる今、楽しさを味わってもらいつつサブスクで課金してもらうカリキュラムが有効なはず。
まだまだ「楽しむ型」カリキュラムの開発の余地はあると思います。
さらに、ピアノ製造そのものにも似たような側面があると思ってます。
まだ発展の余地はあるのか?
ピアノフォルテ、と称されるように工業レベルの低かった時代に、なんとかして大音量を作ろうとした先人の工夫は称賛に値します。 今製造に携わる人も、現在の工業レベルを駆使してさらにブラッシュアップする姿勢も同様。 しかし、発明という点ではどうでしょう?
当時の最高級の乗り物だから、と言って、豪華な殿様が乗る駕籠は今普及してません。そこから馬車になって蒸気自動車になりガソリンの車になり、今は電気や水素。
じゃあ、ピアノってどうなればいいのか。
現在の住宅事情、経済状態、ライフスタイル、を色々加味すると、
- 音量はあまりいらない
- 打弦感もそれほど求めない
- 88鍵いらない
- ピアノに向かう姿勢もライト
となると、黒く無くて小さくて脚がグニャッとカーブしてなくて、というモデルができそうですねー。
現代の匠、作る方と売る方と教える方が一体になれば、新しい「日本発のカジュアルピアノ」ができそうな気がします。 1号機は欲しいです。
まさに上の4項目を自宅で実践してる自分の持ってる「つい買ってしまった」ピアノたち。電子的なアプローチではありますが、カジュアルです。こいつらをリビングルームに置きっぱなしにして、しかも電池駆動、ってのが一番触る機会が増えます。テレビ見ながら手が勝手に動いている生活を実現する相棒です↓