手話できない・・・

マイノリティーになってみた

とある居酒屋。たくさんの人が来店して、うまい肴とうまい酒で楽しんでる。

でも、違いが一つ。声がしていない。その時にお見せに行って合流したグループ内では、自分ともう一人だけが耳が聞こえる人。店主を含め残りのお客さんは全員聴覚に障害を持つ、という人たち。

そこでの会話は、手話もできる障害を持ってない知り合いに通訳をしてもらい、やっと意思疎通ができる。でも、みんなは、遠く離れた店主にも手話を使って的確な注文を飛ばす。これ、ある意味我々の普通の生活の能力を超えてます。

障害がある・無し、という表現は難しい、と感じます。

なぜならこのお店の中では、手話が使えない私はコミュニケーションの取れない障害を持っている状態になるわけです。多数・少数ということで考えれば、まさに自分は少数派。数の大小はあってもそこに権利の大小や価値の高低があってはいけない。

自分はメガネをかけてますが、これも正しくは医療器具です。自分の能力が低くなった部分をテクノロジーで補って生活してる。まだまだ対策が産まれていない症状も含め、社会は多数派のための仕組みを経済的に作りながらも、様々な方が恩恵を受けられるようにする、という基本的な考えを忘れてはいけない訳です。それがコストアップになる、などという結論をすぐに出す人は、すぐ来る高齢化時代についていけなくなることでしょう。なんせ、高齢になるということは、能力値のバラつきが半端ない。

ちなみに、伺ったお店はこちらです↓

串揚げ居酒屋 ふさお

もちろん、どんなお客さんも大歓迎、ですから積極的にマイノリティーを味わいに行って見てください。串揚げと酒は言うまでもなく味わい深いです。